トップDiaryトップ2004年 3月の日記


2004年 3月の出来事 

土地決定 銀行融資申込み 設計図打ち合わせ

3月1日

夜、女房とS社の見積もりを色々検討してみたがやはり予算が厳しい。断念する方向へ。

結局、ハウスメーカーでの家作りは資金力不足で出来なかった。

あとは地元の工務店か遠い親戚の建築家さんに頼るしかない。

   
    
「ハウスメーカー」「工務店」「建築・設計事務所」の仕組みと特徴を比較


3月2日

知人宅へ行き、家の具体的な話と所有する土地について色々と聞く。すべてが整っており、

すぐにでも建築可能だとのこと。1等地とはいえないがかなりお買い得である。

土地、建物を合わせておおよその金額を聞いてくる。これだったらなんとか自分でも手が

届きそうだ。望みが出てきて良かった。  


3月3日
自分なりに検討した結果、知人の土地を買い、そして家を建てようと決心する。

ひな祭りだし。

3月4日

 初めて銀行へ融資の相談に行った時の出来事

独身の頃から12年間積んでいた、T信用金庫へ源泉徴収書をもって出向き、いったい、

どのくらい融資を受けられるか相談に行く。50歳近くと見られる担当者が出てきて

対応してくれたがその担当者、ふてぶてしい態度で、全く相手にしてくれなかった。

すぐに話すのも嫌になり5分も経過しない内に相談は打ち切り。

その時の会話↓

源泉徴収書を見せて・・・

       「どのくらい借りられるでしょうか?」

担当者が電卓をはじく

       「1600万円。」

       「・・・・」 お互い無言。

       「12年間、今まで積み立ててきたのですが?」

       「関係ないです。」

       ・・・お互い無言。

       「・・・・帰ろうぜ。」

会話って本当にこれだけだった。作り話ではないです。外には“住宅ローン無料相談受付中”

なんていう昇り旗が何本も誇らしげに風に吹かれてなびいていたのに。

こんな対応をするT信用金庫に12年間も積み立ててきた自分が馬鹿だった。

でもこの営業マンの対応はふざけ過ぎていると思いませんか?

アナタの対応では一般庶民の私には


「自分は融資を受ける資格もないのか?」
と思ってしまい
                              
                            不安が増大してしまいます!!


仕方なく、時間もかなり余ってしまったので、”ダメモト”で群馬銀行へ相談しに行ってみた。
(信用金庫こそが庶民の味方で地方銀行や都市銀行は相手にしてくれないとずっと思っていた。)

予想に反して今度はおばさんが丁寧に一から相談に応じてくれる。源泉徴収書からの

計算上では1780万円の融資が可能だ。T信用金庫より多く借りられる。

これなら自己資金と合わせて昨日K氏から聞いた金額に届くではないか!

しかも今月まで優遇金利キャンペーン中で通常2・25%のところ

1・75%(3年固定)で融資を受けられるそうだ。仮申請だけでもしてみませんか?

と言うので何気なく仮申請をしてしまう。しかしこれが後で面倒なことになってしまう。    

3月5日

群馬銀行から「あと100万円だけどうにかならないか?」との電話があり。困った。

3月6日

どうしようか迷った末、親の家まで行き、訳をきちんと話し、100万円借りる約束をしてくる。

3月7日

今日は私は仕事が忙しいので女房に銀行に行ってもらった。仮申請が通った。

月々、54000円
の支払い(ボーナス払い無し、35年間、3年固定)である。

自分では65000円くらいまでなら厳しいがどうにか返済をしていけると思っていたが

これなら出始めは無理なく返済ができそうだ。良かった。

そして仮申請が通ってしまえばほぼ本申請も通るとのこと。

しかし喜びもつかの間、融資額を見たら1690万円・・・。

仮申請の時より90万円も少ないではないか!

おととい銀行からの電話は、この減額分の埋め合わせだったと気付く。    

   融資金額を多く借りられていると勘違いしていないか?


3月8日

ここ数日、女房と私が交代でほぼ毎日のように銀行へ通って疑問に感じたところを

説明してもらっている。些細な疑問でも丁寧におばちゃんが教えてくれる。

そんな中、各諸費用のことが気になり、知人に電話する。案の定、先日、話をした時の

土地、建物のおおよその合計金額はあくまで建物、土地の価格だけであって

諸費用代は別との事。不安が見事的中した。

しまった!また予算が足りなくなってしまった。けして知人が悪いのではなく完全な私のミス。

常識から考えてもこんなに安く家が建てられるわけがない。

本で勉強したつもりが全然生かされていない。
       

   こんなにも諸費用が・・・


3月9日

群馬銀行へ行き、今月中で金利優遇キャンペーンが終了してしまうので本申請をできれば

やった方が良いとのこと。そして本申請に揃えておく必要な書類を聞く。

今日は夕方から知人宅へ相談をしに行く約束の日。当初の予算金額より110万円も少なく

なってしまい(まさに諸費用分)「これで金額的に無理だったら家を建てるのはあきらめよう」と

女房と話す。知人宅へ向かう途中、再びいかりや長介が「だめだこりゃーぁ」

と頭の中でリフレイン。

知人宅へ到着。今回お世話になる建築家のT氏も来てくれた。

事情を話し、最初は驚いた様子だったが色々と試行錯誤してくれた後、

知人とT氏の当初の家の構想は35坪位の(建坪)家にしようと練っていたようだが、

規模を少々小さくしてどうにか私の提示した予算金額内で収めようとしてくれた。

良かった!なんとか家が建てられそうだ。

3月12日

融資をもう1度最初から考え直してみたがやはり月々54000円でボーナス払い無しは

魅力である。金融公庫だけでは私の場合、まかないきれないので銀行にも借り入れを

しなくてはならないし月々の支払額も結局、金額が高くなってしまう。35年間と長期で考えた

場合、確かに金融公庫や新型住宅ローンみたいな固定金利の方が返済総額が

低くなるのは分かっているが私の場合、新築に住みはじめてからの3〜4年間、どのくらい

貯金をできるかの方が大事なのでリスクはあると思うがこのまま銀行で融資をやってみよう。

   住宅ローンの種類と金利について


3月15日

群馬銀行へ行き、本申請の申し込み書を記入してくる。あとは必要な書類がそろえば融資が

出来る。午後、知人から電話があり建築家のT氏が手がけた家を見に行こうというので、

知人と奥様、T氏と4人で現場見学をさせてもらう。建設途中の家や完成した家を見せて頂き

生で見るのはとても参考になった。その中でも通称“Wとんがり屋根”の家に私は

一目惚れしてしまう。夜、親睦も兼ねて、居酒屋で飲む。知人とT氏からどんな家を建てたい

のかなど色々聞かれるが、金額も少なくなってしまった事情もあり、うしろめたさから

「とりあえず2階が4部屋できればおまかせです」

とか

「俺は住めればどんなのでもいいですよー」

みたいな曖昧な返事しかしなかった。そんな態度の私にT氏から

「家は買うものじゃありません!家は創るものなんです!」

と言われてしまう。その言葉が妙に心に残り帰宅する。

3月17日

電話で本申請に必要な書類が今月までにそろうかどうか知人に聞いてみたが
(設計図や見積書もまだこれからだというのに(笑))

設計図などは何とか間に合わすが確認申請が1〜2週間かかってしまい難しいとのこと。

これも私の見切り発車だから(銀行)しょうがない。

キャンペ−ン優遇金利はあきらめるしかないかぁ〜。

でも同じ金額を借りるのに月々、6000円も差が出るのは少々損した気分になってしまう。       

    銀行から融資を受ける際の必要書類色々


3月19日

 第一回目の設計図案が出来上がる

私の仕事が遅くなり、夜の10:30から打ち合わせ。皆さんお疲れなのに待っていてくれた。

そして今回棟梁をしてくれる大工のR氏と初顔あわせをする。30歳と若い棟梁だ。

少々、飲んでしまったとのこと。みんなが私にお詫びをした。まぁ私が遅くなってしまったので

これはしょうがない。しかし棟梁のR氏は目の周りが真っ赤で、顔だけ見ていると

一番飲んだ感じがする(笑

「このヤロ〜、初対面なのに酔っ払ってやがって〜
                     でもしっかり話をしやがる・・・そうとう酒に強いヤツだな〜」

なんて思いつつ説明を聞いてたが

実は酒はほとんど飲んでなく、花粉症で目の周りが真っ赤だということが判明する。

誤解が解ける。

はやとちりしてしまいごめんなさい。

話していく内に棟梁のR氏もとても誠実でやさしそうでそして私と気が合いそうで良かった。

設計図の方は29坪に縮小してしまったが3プランも用意してくれてその中に私が

お気に入りの“Wとんがり屋根の家”もあり棟梁も

「この間取りは無駄がなく素晴らしい。」と言う。

どれも2階は6畳4部屋がある希望通りの設計図でうれしかったが、かなり悩む。

「2階は3部屋にして子供部屋として1つ大きな部屋を作り、クローゼットで仕切るような

 作りにしたらどうか?」


と提案をいただいたが、私は小さくても完全に独立したプライベートなスペースを

子供達に提供したかったのでこの案は断った。

「建坪も少なくなったことだし、2階に4部屋もあるから1階は2部屋作らないで

 大きなリビングダイニングを1部屋にするのはどうか?家族が一番集まるところだし。」


この提案はとても共感して、そのようにお願いした。

こんな打ち合わせの結果、悩んだが“Wとんがり屋根”の設計図に決めた。

3月21日

いかりや長介死去。ジャイアント馬場が死去した時以来のショックを受ける。

心より冥福を祈ります。 私は貴方の下唇を忘れない。

3月24日

銀行から優遇金利キャンペーンが3月いっぱいで終了の予定だったのが、

9月まで延長されたと電話がある。今までのあせりは何だったのだろう・・・。

でも良かった〜、これでじっくりと家の構想も練れる。

3月29日

 家の設計の打ち合わせ

前回のプランでの間取りだと2階は6畳4部屋仕切れるがクローゼット1畳分と入り口半畳を

スペースで取られてしまうので実際の部屋の空間は4畳半になってしまうという。

子供部屋3部屋は天井を高くし、ロフトを付けて対処をするけどやはり空間的には狭く

なってしまうのでまた新たにベランダを潰した2プランを用意をしてくれた。

悩んだが“Wとんがり屋根”がどうしても捨てきれないのでこのままやってほしいと告げる。
帰り際に知人の家に宿直用の4畳半の部屋があるというので4畳半ってどんな感じなのか

見せてもらう。T氏が「実際には天井が屋根の部分までくるのでこの空間よりは広く感じます。」

と言ってくれたが「うーん、思ったより狭いなぁ〜」これが本音だった。


打ち合わせ終了後、かつて相手にしてくれなかったT信用金庫に積んである貯金を

すべて解約してくる。受付のおねーちゃんが

「なにか大きな買い物でもしましたかぁ〜新築でもなさるのですかぁ〜」

なんてすっとぼけたことを聞いてきたので

「えぇ、家を建てることになりましてこちらにも相談をしに来たのですが

                         
全く
相手にしてくれなかったんですよ〜」

と大きな声で他の客と支店長らしき人物に聞こえるように答えてやった。

貧乏人のせめてもの反撃であった。

でも相手にしてくれなかったおかげで、ここよりずっと低い金利で

融資が受けられたので、ある意味感謝である。

3月30日

女房にポツリと

「4畳半って狭くなかった?」と聞くと

「狭いと思ったけどパパがそれでいいというから黙ってた」という。

珍しく同じことを感じていたようだ。


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